この言葉は、誰のものか

 

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その言葉はあなたの言葉ですか?
 

 

 

 

 

皆様こんにちは、私です。

皆様こんにちは、私です。
 

 

 

 

例えば、こんな経験はないでしょうか?

例えば、こんな経験はないでしょうか?
 

 

文章を読んだだけで誰か書いたか分かる。

文章を読んだだけで誰か書いたか分かる。
 

読んだだけで、その人がどんな人か大体伝わってくる。

読んだだけで、その人がどんな人か大体伝わってくる。
 

 

 

誰しも一度は経験したことがあると思います。

誰しも一度は経験したことがあると思います。
 

スポーツ選手だったりアーティストだったりもちろん身近な人だったり。

スポーツ選手だったりアーティストだったりもちろん身近な人だったり。
 

選ぶ言葉に個性が見え、

選ぶ言葉に個性が見え、
 

色がついているかのよう。

色がついているかのよう。
 

 

 

 

 

共感覚の持ち主ではありませんが、

共感覚の持ち主ではありませんが、
 

記号の集まりでしかない文章に

記号の集まりでしかない文章に
 

色がついて見えることがあります。

色がついて見えることがあります。
 

 

 

声とは違って、

声とは違って、
 

文字とは記号でしかない。文章は記号の羅列に過ぎない。

文字とは記号でしかない。文章は記号の羅列に過ぎない。
 

 

それでも何にか個性的に見える不思議…

それでも何にか個性的に見える不思議…
 

 

 

良いですよね。そういう文章とか、頭に入って離れない言葉選びとか。

良いですよね。そういう文章とか、頭に入って離れない言葉選びとか。
 

 

 

「言葉を巧みに操っている」

「言葉を巧みに操っている」
 

そんな人に、私は憧れます。

そんな人に、私は憧れます。
 

 

 

 

さてじゃあ私は?となると、

さてじゃあ私は?となると、
 

 

 

 

「無色」なんですよね。

「無色」なんですよね。
 

 

私にはそう思えて仕方ないのです。

私にはそう思えて仕方ないのです。
 

 

 

 

何らかの記事なり文章を書く中で、

何らかの記事なり文章を書く中で、
 

自分が放つ言葉が自分の言葉ではないような感覚になったことが何度もありました。

自分が放つ言葉が自分の言葉ではないような感覚になったことが何度もありました。
 

 

 

 

心の中から出てきた言葉、心からの言葉を

心の中から出てきた言葉、心からの言葉を
 

文字に起こしているつもりなのに、

文字に起こしているつもりなのに、
 

そこに残るのは『虚無』。

そこに残るのは『虚無』。
 

 

 

 

どんなに綺麗な言葉で飾ろうとしても、

どんなに綺麗な言葉で飾ろうとしても、
 

どこかの誰かの言葉を借りて、

どこかの誰かの言葉を借りて、
 

それっぽい言葉を継ぎ接ぎしているだけで、

それっぽい言葉を継ぎ接ぎしているだけで、
 

 

そこには個性もオリジナリティもなにもなし。

そこには個性もオリジナリティもなにもなし。
 

 

まるで無色。

まるで無色。
 

 

 

 

そんな自分に嫌気が差します。

そんな自分に嫌気が差します。
 

 

 

あなたもそう思いませんか?

あなたもそう思いませんか?
 

普段の私のツイートは、

普段の私のツイートは、
 

今、あなたが読んでいる文章は、

今、あなたが読んでいる文章は、
 

 

色がついて見えますか?

色がついて見えますか?
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見える?そうですか………

見える?そうですか………
 

 

 

 

 

 

「自分の言葉」とは何か。

「自分の言葉」とは何か。
 

 

 

この問いを自分ごととして考え続け約1年。

この問いを自分ごととして考え続け約1年。
 

たくさんの時間を消費して一つの考えに至りました。

たくさんの時間を消費して一つの考えに至りました。
 

 

 

まだ、時々ではありますが、

まだ、時々ではありますが、
 

自分が綴る言葉を愛し、

自分が綴る言葉を愛し、
 

少しだけ認められるようになった気がします。

少しだけ認められるようになった気がします。
 

 

 

それは何故だろうか、と考えてみると、

それは何故だろうか、と考えてみると、
 

私はそういうときいつも、

私はそういうときいつも、
 

とてもとても気を遣って言葉を選んでいるのです。

とてもとても気を遣って言葉を選んでいるのです。
 

 

 

その場で浮かんだ言葉をひたすら言うのではなく、

その場で浮かんだ言葉をひたすら言うのではなく、
 

ひとつひとつの言葉を丁寧に選んで、

ひとつひとつの言葉を丁寧に選んで、
 

 

あるいは場合によっては、

あるいは場合によっては、
 

自分が持っている語彙ではとても表現できなくて、

自分が持っている語彙ではとても表現できなくて、
 

頑張って言葉を見つけ出して、選んで、並べていく時、

頑張って言葉を見つけ出して、選んで、並べていく時、
 

その言葉がいつしか自分のものになる。

その言葉がいつしか自分のものになる。
 

 

 

むしろそういうときこそ、

むしろそういうときこそ、
 

借り物ではない自分の言葉で語る、

借り物ではない自分の言葉で語る、
 

ということができている気がします。

ということができている気がします。
 

 

 

 

個性というのは、同じ型に入れられてそれでもなお滲み出る何か
 

 

なんて言葉もありますが、

なんて言葉もありますが、
 

 

上手い言い回しや、豊富な語彙ではなく、

上手い言い回しや、豊富な語彙ではなく、
 

 

想いを伝えるための言葉を選んで紡いで…

想いを伝えるための言葉を選んで紡いで…
 

という営みこそが、

という営みこそが、
 

透明な言葉に色をつける、

透明な言葉に色をつける、
 

 

のかもしれませんね。

のかもしれませんね。
 

 

 

 

 

 

実際どうなんでしょうか。

実際どうなんでしょうか。
 

 

 

 

例えばある文章が、

例えばある文章が、
 

これまで見聞きした他人の言葉から好きな言い回しを抽出して組み合わせ、

これまで見聞きした他人の言葉から好きな言い回しを抽出して組み合わせ、
 

そうして出来上がった、

そうして出来上がった、
 

既存のもののパッチワークだとしても、

既存のもののパッチワークだとしても、
 

 

そこに何かがあるのでしょうか。

そこに何かがあるのでしょうか。
 

 

 

 

 

結局、私には何が正しいのか分かりませんね。

結局、私には何が正しいのか分かりませんね。
 

 

 

文字の創作を生業にする者として、

文字の創作を生業にする者として、
 

 

私はこれからもずっと、

私はこれからもずっと、
 

 

日々言葉に悩み、

日々言葉に悩み、
 

 

悩まされることでしょう。

悩まされることでしょう。
 

 

 

 

 

ぜひ、あなたも考えてみてください。

ぜひ、あなたも考えてみてください。
 

 

 

 

 

 

 

改めて問いますが、

改めて問いますが、
 

 

 

 

 

その言葉はあなたの言葉ですか?

その言葉はあなたの言葉ですか?
 

 

 

 

 

そして、

そして、
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『この言葉は、誰のものか』

『この言葉は、誰のものか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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